水のなかの色

あいまいなものについて、考えごと。

ここにいるのは何のため②

前回の続きのようなそうでもないような。

どうして自分がここにいるのか、どうしてこの作業をやっているのか、と会社にいるときよく思うと書きました。はたらく目的がわからなくてそう考えるんだとそのときは書いたけれど、それも正確じゃないような気がしてきました。

たしかにはたらく目的はわかりません。私がやっているのは会社の物やお金や、会社の人のスケジュールや個人情報といったものを管理する仕事みたいです。だけど私自身は物やお金や時間にかなり無頓着です。すぐに部屋のなかで物をなくすしよく考えずに買い物をしてレシートはすぐに捨ててしまいます。休みの日に電車に乗るときも家を出るのが遅くなって乗りたい便に間にあいません。きっちりする意味がよくわかっていないのです。当然、仕事のほうもよくわからないままやっています。

とはいえ、会社に行くことには価値も感じているのです。毎日顔をあわせてしゃべれる人がいるので朝早くてもでかけていく気になれます。今やっている仕事も、これまでの私ならしなさそうなことが多くて、はじめてやってみると新しく知ることがあるので楽しいです。会社の人たちのやっていることも内容はよくわからないのですが、いろんな仕事をしているようで見ていて楽しいです。お金ももらえるので生活したり休日に友人と遊んだりできます。だからなるべく続けていきたいとは思っています。

会社や仕事とはまったく関係のないところで、私のやりたいこと、大げさにいえば生きる目的のようなものがあります。考えごとをすることと友人たちと会って話すこと。けっこう単純なそれだけのことが私の目的です。こっちのほうがはたらく目的よりもずっと、私の感覚に大きな影響をもっていそうです。

大学生のあいだ、どうして自分がここにいるのかという気分にあまりならなかったのは、この目的がけっこう満たされていたからだと思います。講義中ずっと考えごとをして本を読みながら考えごとをして、期末のレポートで考えたことをまとめて、それがよいこととされる環境でした(文学部は私にぴったりだった)。専門分野はあいまいでよくわからなかったし成績もそんなによくなかったけれど、ずっと考えごとができました。そのせいで生活はおろそかになっていましたが。

友だちもいました。入っていたサークルの友人たち。彼らの多くは今も大学のある町の近くに住んでいます。私は会社に入るためにひっこしてしまったから、電車に乗って川を越えて山を越えて行かなければ会えません。ずいぶん遠くに来てしまった感じがします。

どうして私は大学生ではなくなってしまって、どうしてここには友人たちがいないのか、と思います。どうして考えごとにふけりたいのも友人に会いに行きたいのも考えないようにして仕事をしているのか。やっぱり「何のために仕事をしているのか」という目的が、考えごとと友人に会うことという楽しみを上回らないからこの疑問は生まれているようなのですが、かといってこれを上回る目的を仕事に見いだせてしまったらそれはそれで悲しいかもしれない。だから今のままでいいです。

なんだかまとまらない考えごとになってしまいました。でも考えごとはまとめることが目的ではないのでこれでいいのです。まだしばらく平日は自分があいまいなままかもしれませんが、休日は考えごとをしながら電車に乗って、友人たちに会いに行こうと思います。