水のなかの色

あいまいなものについて、考えごと。

私もそうなりたい

すてきなものをつくれる人にあこがれてきました。

さいころはお花屋さんかケーキ屋さんになりたくて、いろんな色の花束やケーキのことばかり考えていました。道端の花をつんでブーケをつくり、親に頼んでケーキを焼かせてもらいました。だけど私の小さな花束はいつも帰り道でしぼんでしまったし、ケーキもうまくふくらまなかったりベタベタしていたり、クリームを塗ったらスポンジ部分がボロボロになってしまったり。お店のようにならないのはわかっていましたが、自分が満足できるものにすらなりませんでした。

お店屋さん以外でも、すてきなものをつくれる人にはいつもあこがれました。かわいい女の子の絵が描ける友だちや、ビーズでキーホルダーをつくっている友だちがいました。でも私は輪郭や瞳の枠線がどう頑張ってもきれいに描けなかったし、ビーズはいつも途中でバラバラになってしまいました。

手先が不器用でも言葉ならすてきなものがつくれるんじゃないかと、いつだったか考えました。物語を書く人か歌詞を書く人になろうと思って放課後にずっと文章を書くようになりました。物語は脱線してうまくまとまらず、ほとんどは完成すらしませんでした。できあがったいくつかの短編も誰にも見せられないままノートと一緒に消えてしまいました。歌詞も、楽器が弾けないし歌うのも恥ずかしくて曲にすらならないままノートのなかにたまっていきました。

それでよかったんです。ほかのいろんなすてきなものとちがって、ささやかながら自分だけは満足させられるものをつくることができたから。小説家にもソングライターにもなれなくていい。自分のつくりたいときに少しだけ書いて、自分ひとりがすてきだって思えたらそれでいいと思いました。認められたいわけでも評価されたいわけでもないと思っていました。今こうしてブログを書いてネット上に放っているということは、誰かに見てほしいしすてきって思ってほしいってことなのでしょうけど。過去の私だって本当はそうだったかもしれません。

すてきなものをつくる人にあこがれる気持ちは今も止まっていません。それどころか強くなるいっぽうです。つくれない自分がいやなのです。

会社には料理をする人や写真を撮る人がいます。業務じゃなくても、植物を育てたり花をつんできて飾ったりする人もいます。とてもすてきだと思う一方でくやしい気持ちにもなります。どうしてそれをするのは私じゃないんだろう。私にそれが任されることはないし、今の私が手を出したらきっとだめにしてしまいます。だけど、どうして私はすてきなものを見て味わって楽しんでいるだけで、それをつくれないのかって思います。つくりたい気持ちはこんなにあるのに。

そういう衝動をためこんで家に帰ってきて、料理をして失敗してギターもうまく音が出なくて、またひとりだけのノートにたくさん書いて、それを翌朝になって文章にして、まとまらなくて公開できないこともあって、そんな日々です。今からでもちゃんと練習したらすてきなものがつくれるようになるかな。うまくいかなくても投げださずに少しずつやってみようとは思います。