水のなかの色

あいまいなものについて、考えごと。

見えないところで動いているもの

別に毎日書こうと思っているわけではないのだけれど、この不自由な暮らしは案外、新しく思うことや考えることが多くて書かずにいられない。本当は昨日考えたことを今日も考えていたかったけれど、しばらく後でまた考えられるような気がしてそうしなかった。エントリーシートはなるべく早く書いたほうがいいのだろうけど今日は締め切りではないし、明後日くらいに書けばいいような気がして、また自分のための文章を書いている。

昼に本を一冊読み終えて、夕方ごろに自転車で買い出しに行って、また本を読んでいた。図書館が開いていないから、少し前の自分が読みたくて借りていた本をゆっくり読んでいる。たまに外に出るけれど近所のコンビニに向かう決まったルートしか通らない。この暮らしも少し慣れてきたように思う。数日前まではものすごく抵抗感があったのだけれど、単調なものだから慣れるのも早いのかもしれない。明日にはまたどこかに行きたくなっているのかもしれないけれど。

コンビニからの帰りにいつも見ている建物が見えたのだけれど、いつもと違う場所が目に飛び込んできたのでなんだか特別な気分になった。私は外に出る機会は貴重だから季節の花の色や香りをなるべく感じていようとしていたのに、ふと目を上げたときにいつもより遠くに焦点があったからなのか、そういうふうに見えた。まさか丸三年ずっと目にしてきた建物を初めて見たような気分になるとは思わなくて、自転車に乗ったままずっと眺めていた。春の大きな金色の夕日に横から照らされてなんだか神々しかった。

私が感じようとしなくても色とか形とか香りとかが私に飛び込んでくること感覚があることを、最近はあまりなかったのが不思議に感じるくらい、ちゃんと思い出した。どこにも行けないから新しいものが見れないなんてことも本当はなかった。私がどこにも行かなくても私の感覚は動いているし、世界のほうもずっと動いている、と思うと安心する。いつかまたどこにでも行けるようになったらきっと新しいものを見つけるために遠くの知らない場所に出かけるだろうけど、今は家と近所だけで新しいものを待っていてもいい。

帰ってきて読んだのはさっきとは別の本の一節だった。ベッドの辺に腰かけて本は膝の上に乗せていて、そういえばこの姿勢で読むことはあまりなかったかもしれないなと思った。今日はそういうことに気づきやすい日なのかもしれない。普段はほとんど家具の配置なんて意識しないし自分に手足があるともそんなに思っていないのだけれど、読んでいる本の重量に引っ張られて、本が触れている自分の身体に意識が向くことがある。というよりも、本の一部に自分全体がなってしまったような。今日は座っている場所が部屋のちょうど真ん中だと気づいて、そのままいたら部屋の空間全体と一緒になってしまったような感じもした。考えてみれば本だって数百枚の紙なのに、本として手に持っているときは紙というよりも一つの塊として感じている。

本の内容がそんな感じだったわけではないと思うのだけれど(少し関係あるような気もするけど)、一節読み終わったときにそんなことを考えていた。そのことが不思議なことみたいに思えたから本当は最初からそのことを書こうと思っていたのだけれど、なぜか夕方のことから書いてしまった。感じることも考えることも書くことも、私の意志と別のところでも動いている。そういうことをちゃんと感じていきたい。