水のなかの色

あいまいなものについて、考えごと。

旅と生活

旅がしづらくなって、かわりにきちんとした生活ができるようになってしまった。

朝起きて、自炊だとか掃除だとかの家事をして、本を読んだり勉強したりして、夜になると眠りにつく暮らし。大学に入って一人暮らしを始めてからというもの、そういう生活を続けられたためしがなかった。夜は考えごとを始めてしまって眠れない、家事は単純に苦手だし面倒、そういう理由でできなかった。それが今になって急にできるようになった。

どうしていきなりこうなったのだろうと、少しだけきれいになった部屋で海苔ご飯を食べながら考える(器用になったわけではないので生活はさほど向上していない)。そして、昼間に十分考えごとができて夜に考えることがなくなるほど、それどころか昼間の考えごとに飽きて時間のかかる家事でも始めたくなるほどに暇があるとき、いつも私は生活よりも旅に出ることを優先していたのだと思い至った。

いつもと逆の電車に乗るとか、乗ったことのない路線のバスに乗るとか、そうやって今まで知らなかった場所に連れていかれるのが好きだった。(旅といってもそんなに遠くじゃなくてよくて、そういう感じのものはとりあえず旅と呼んでいる。)自分の足で見つけたんじゃなくて、電車やバスが通っているからにはすでに誰かの生活があって、それを住民でない私がさりげなく分けてもらっているような感じが特に好きだ。そんな旅は私にとって生活からの逃避先だったのだろうか。事実、自分の生活をきちんとするよりも他人の暮らしを想像するほうがずっとおもしろい。

今となっては、この特殊な状況(新型コロナウイルスの流行)のためにバスにも電車にも飛び乗れなくなってしまった。私はいつも勢いよく旅に出たけれど(真夜中に目が覚めてしまったからそのまま荷造りをして始発電車で県外に出かけたりだとか)、そのときの、絶対行かなきゃいけない今しかない、みたいな思いは私のなかでの話でしかなくて、社会的にはどれも不要不急にカウントされるものだったのか。

生活からの逃避先だとか、不要不急とか、そんな言葉で表したくなかった。私にとって旅をすることはそういうふうに冷静に見ることのできるものだったのかって少し虚しい。というかそもそも、今すごく困っている人たちがいて、その人たちのためにちゃんと考えている人たちだっているのに、経済的に親に頼っていて生活の保証がある私はそのことをまず考えなくて、旅ができないとか考えている、そういうところはもっと虚しい。旅を諦めたらその次にそういうことが思い浮かばなくて自分の生活をきちんとさせてしまうようなところ。

時間のゆとりだってきちんとした生活だってずっと望んでいたものだけれど、そういうわけでなんだか勝手に虚しい気分にもなる。記憶にもまだなっていないとりあえずの現在の記録。